若者の教育に関わる人に最も必要なことは?

私は、「若者の教育に関わる人間に最も必要なこと」は、”子どもの可能性を最大限伸ばす姿勢”と考えています。

子どもが”やりたいこと”を勇気を出して話してくれる。
「自分なんかにできるはずない、でも、やりたい!」
そんなことを勇気を出して話してくれた。

そんな時、私は、口が裂けてもこんな言葉は言いたくない。
「そんなことできるわけないだろ」
「それでは食えないよ」
「その世界は甘くないよ」
真剣に言ってくれた言葉ならば、しっかりと受けとめたい。
安易に”否定”するようなことをしてはならないと思うのです。

昨年、ある高校に行った時のことです。その高校は、こんな言い方は嫌なのですが、現状のシステムでは、中学で内申点で割り振られる一番下の高校でした。
そこで2コマ(50分x2)で進路に対する考え方の講演をしました。聞いていたのは1クラス30人ほど。そこで最初から最後までつっぷして寝ている学生が2人いました。

私は、何度か起こしに行きます。
起きない。

休憩時間につかまえて1対1で話してみます。
「何もしないで楽に暮らしたい」
「面倒くさい」
「進路のことなんか考えても仕方ない。なるようにしかならない」

出てくる言葉もですが、その時の死んだような目を忘れることができません。
ただ単にだるかっただけかもしれません。かっこつけただけだったかもしれません。

その高校からの帰り道。
別クラスで同じ講演をした先生方と、近くの駅まで20分ほど歩きながら話しました。
15年ほどの人生の中で、どれだけ「周囲にやる気をくじかれてきたのか」、「やりたいことを否定されてきたのか」、「自分はダメだ、なにもできない(と感じさせられてきたのか)」
そんなことが中学時代までに多くあったのかもね みたいな話になりました。

あくまで想像に過ぎません。もちろん本人の努力もあるのかもしれません。
ただ、どこかでやる気、極端にいうと「生きる希望」を失ってしまったのかもしれないと思ったのです。

10代、20代の頃、「やりたいこと」を言うのは、結構勇気がいる気がします。
それを自分に話してくれた。信頼して話してくれた。
そのことに対して、まず”ありがとう”と言いたいのです。

結構難しいことかもしれない。今の彼・彼女ではとっても大変なことかもしれない。
でも、私は、”できる方法”を一緒に考えたいのです。

私自身、高校時代、親や先生に言われて進路を変えました。周囲で、じぶんのやりたいことを肯定してくれる人はいなかった。結局は自分自身が弱かった ということなのですが。
現在、その時の選択を後悔しているわけではないのですが、「肯定してくれる人・応援してくれる人」が
いたら違ったのかもと考えることがあります。

私の好きな岡本太郎の本(自分の中に毒を持て)に、ある言葉です。

「危険だ という道は、必ず自分が行きたい道なのだ」(原文再確認してないので少し違うかも)

人生において、自分の行きたい道を選択を自分自身で選択する。
それが最もいいのかもしれないが、誰かに背中を押してもらってもいいんじゃないかな とも思うのです。